松山

【松山】国際交流の懸け橋「ロシア兵墓地」で思いを馳せる

大佐

松山市御幸町にある来迎寺の近くに、日露戦争で捕虜として捕まり、祖国に帰ることなく亡くなった方々の「ロシア兵墓地」があります。

ロシア兵98人のほか、ドイツ人、アメリカ人の霊を弔っている墓地だそうです。

ロシア人墓地の看板

ゆるやかな坂の住宅地を抜けると、ロシア人墓地の看板がありました。

スロープ

墓地へは階段orスロープを上って行くことができます。

入口

隣接されていたお手洗い。とてもきれいに整備されています。

大佐

階段を上がると真っ先に大きな大佐のお墓と「日露友好のかけ橋」という石碑が目に入りました。

墓地全景

ロシア人捕虜の人々のお墓です。墓碑は祖国を臨むように北を向いて建てられているそうです。

個別

ひとりひとりカタカナで名前を入れて作られていて、いつ亡くなったかも記されています。傍らには一輪ずつ生花が供えられていました。

ロシア語

ロシア語でも併記されています。

米軍

こちらはアメリカ兵士の墓。

ドイツ軍

こちらはドイツ兵の墓。

説明

松山は1904年に始まった日露戦争の捕虜収容所が初めて作られた場所とのこと。

1899年に調印したハーグ条約に基づいて日露戦争でのロシア人捕虜を丁寧に扱い、特に最初の受け入れ地であった松山については、ロシア兵の中でも有名だったとのこと。

説明書きのプレートを読んで感動しながら読みました。

眺望

当時の松山の人口は30,000人。そのうち、捕虜の数が4,000人にのぼったこともあったとのこと。

捕虜への博愛優遇は県民に徹底されていたそうで、祖国から家族を呼び寄せたり、遠足などのレクリエーション、温泉や観劇なども楽しめ、県民との国際交流も盛んだったそうです。

日本人ならシベリア抑留が記憶にある方もおられると思いますが、そのイメージからすると驚きです。

プレート

現在この墓地は近隣の住民や中学生の手で清掃活動がされているそうで、それはひとりひとりの墓前への一輪の生花にあらわれていますね。

この墓地を訪れて、昔からある日本人の素晴らしい心と、そして現代にまで語り継がれて変わらず供養されている様子に感動しました。観光ついでにぜひ訪れてほしい場所です。